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こどもミュージアムプロジェクト ~人を動かすもの~

建築現場にこどもの絵

4月中旬の帯広はところどころに消え残った雪も見られ、朝晩は冷え込みの厳しい日もあるが、晴れた日の日中はとても爽快だ。 4月12日、帯広駅から南西に約8キロ、車で20分ほどの丘陵地帯にある大空団地の一角では、最近棟上げをしたばかりとおぼしき住宅工事現場の足場に、一風変わったシートが取り付けられていた。

おしごとがんばって
けがしないでね  パパへ

たどたどしい絵と文字に、思わず口元がほころんでしまう。

「パパ」はこの現場を任されている、大工 課長の川瀬昴一さん(35)。 「最初はやはり恥ずかしかったです。今でも少し・・・でも、いつも子供に見られているという気がして、頑張ってやらなければ、と思っています。」

笑顔で語ってくれた。

ちなみに川瀬課長、現場では見るからに腕のいい職人さんとお見受けしたが、物腰や口調からはスーツ姿のビジネスマンを彷彿とさせる方である。

さて、くだんのシートの推進者は川瀬課長のお勤め先である、帯広市の「株式会社ホーム創建」阿部利典社長です。

「人づてに、トラックに子供の描いた絵をラッピングするという取り組みと、それに関するNHKのニュース映像を紹介してもらい、これはいい取り組みだと思いました。発案者である宮田運輸(大阪府高槻市)の宮田社長さんは普及のため方々に出かけているとのことだが、まさか帯広までは来ないだろう・・・と思いながら連絡してみたら・・・」

そんないきさつで、宮田社長が帯広を訪れたのは昨年(平成29年)2月のことで、予想に反してフットワークは軽かった。 お二人はすぐに意気投合した。宮田社長がトラック業界から始めた「こどもミュージアムプロジェクト」は、徐々に他業種にも普及し、またひとつ業界の垣根を超え、初めて建設現場用のシートが作成されることになった。

「工期などを気にすると心が入らなくなる。子供の絵を見れば危ないことは避けるだろうし、恥ずかしくない仕事をしようと思うはず・・・」

阿部社長は終始にこやかで、歯切れよく語って下さった。

ちなみに社長は、良質な石炭を算出することで有名だった雄別の町(現釧路市阿寒町雄別)で、岩手県出身のご両親の元に生まれ育ち、1970年、中学二年の終わりに雄別炭鉱閉山に伴う町の消滅と、15000人の住民の離散を経験している。

中学校も当然閉校となり、三年生から他の学校に編入しなくてはならなかったが、ハードルの高いとされていた釧路市内の高校へ行きたかったため、両親の転居先から通える最寄りの中学を選ばず、14歳で親元を離れ釧路市内の中学に編入する道を自ら選んだそうである。
また、当時父君が建設会社の現場監督をされていたことや、会社の敷地内に住んでいたこと、従って作業場の木くずや道具類などが身近な遊び道具だったことなどから、その後建築業を志すうえでの影響を受けているとのこと。

「親父が現場監督をやっていたから、飯場にいる職人さんたちが毎晩飲みに来るんですよ。飲んで酔っ払ったところで寝てたりとか、だらしないのを小さいころから見ていて・・・。うち(ホーム創建)は建築職人の文化レベルの向上、賃金の向上というのをビジョンの一つに入れていて、そこに貢献できる会社になりたいというのがあるんだけど、小さいときに見たその光景が、結局自分たちで自分たちの地位を下げている、と。せっかくいい技術があるのにね、それを何とかしたいという気持ちがあったから・・・」

幼時を振り返りながら、柔らかなまなざしで語って下さった。

 

「安全管理・工程管理・品質管理・予算(コスト)管理・顧客管理」の5管理を現場管理の柱としているが、特に現場監督には「安全管理が最優先」ということを徹底して指導しているとのこと。

また、かつて屋根から落ちて手首を骨折するという労災事故があり、死んでいてもおかしくない事故だったが奇跡的に助かったそうで

「どんなに手段を尽くし、気を付けていても、夢中で仕事をしているとついうっかり・ぼんやりすることもある。それが人間だからね」

それ以来毎月一日朝7時に神社に集合し、社員全員で「安全祈願」と朝礼を行っているという。 人事を尽くして天命を待つ・・・ふと、そんな言葉が浮かんだ。

「施主さんの子供さんに描いてもらうことも考えているんですよ。子供のいない職人さんもいるので。」

将来的にはすべての現場に掲げたい・・・

大阪の運送会社から始まった取り組みは、地域や業種を超え確実に多くの実を結ぼうとしている。

※参考
平成28年建設業の労災死傷者数(休業4日以上、死亡者を含む)は15,058名〈117,910名、12.7%〉、そのうち294名〈928名、31.7%〉が亡くなられており、半分近い134名〈232名、57.8%〉は転落・墜落災害によるものである。

(〈  、 〉は〈全業種総数、そのうち建設業の比率〉)

工程の進捗に伴い日々現場状況も変わり、風雨や寒暖など自然の影響も大きい。また、指揮系統が違う多くの専門業者が混在して作業を行う現場も多く、その分他業種より危険度の高い作業も増える。それでいて工期や品質も厳しく求められる中、つい本来の手順を省いたり、慣れた作業だから危険を甘く見てしまうといったことでの事故も起こりやすい。

また、結果が重症化しやすいことも建設業の特徴であると言える。

これらのことから、災害防止に関しては作業者一人ひとりの意識レベルに依存する部分が非常に大きいと考えられる。

日ごろの指導・教育もさることながら、あどけない子供の絵とメッセージが訴えるものは、きっと多くの人の心に響き、具体的な行動に現れるに違いない。

国境を越えて

「交差点に止まっていると、おばあさんがその絵を拝んだりするんですよね。高速道路を走っていると夫婦がね、追い抜きざまに運転手に向かって、こう、手を振るわけですよ。サービスエリアに止まっていると『これ、写真撮っていいですか?』と聞かれ、お客さんの所へ行ってですね、『なんや、これ可愛いなぁ。』『うちの坊主が描いたんです』とね・・・。

ほんとに、一枚の絵がいろんな人から注目を浴びる。見られている意識も沸く。あおり運転も無くなってですね。手紙で『今日は仕事でイライラしてましたが、帰りに御社のトラックを見て心が穏やかになりました』と頂いたり・・・

たった一枚の絵なんですけど、社内の変化もすごいですし、社会の変化もすごくてですね・・・」

(写真:「こどもミュージアムプロジェクト」パンフレットより)

 


「是非訪ねて話を聞くといい」

前述の阿部社長に勧められ、宮田社長にお目にかかったのは初夏のような陽気の4月20日、場所は阪急茨木市駅にほど近いビルの一室。部屋の入り口には「株式会社宮田運輸 国際CSV事業部」とあり、壁には「こどもミュージアムプロジェクトのパネルが飾られている。

人は、やさしさに触れたときやさしくなれる
やさしさあふれる世界に

 

「僕らの業界(運送業界)は人をどのように管理するか、まあ、させられるか、という構図がずっと変わらなくてですね。デジタルタコグラフ、GPSやドライブレコーダー、これ外向きの奴で、内向きにはビデオと音声まで拾ってですね。機械(センサーを使った電子制御による事故防止用機械)はモービルアイ。『最新の機械・・・次は何付けますか?』と。人を管理するため、安全の名の下にですね・・・

もちろん管理は大切なんですけど・・・そればっかりやっているとですね、今こういう人手不足の中では、こういう仕事をしたいという人間も出てこない、と。僕らは、それも大事なんですけども、人を信じたい。

人の何を信じるかというと、人には優しい、美しい心があるっていうことを信じたい、と。 どんな不平不満、グチを言っている連中でも、あるんだと。これを経営者が信じるんだと・・・」

「こどもミュージアムプロジェクト」について語る宮田社長の言葉は、よどみなく続く。あふれる「思い」が言葉となって噴き出している、そんな感じがする。

宮田運輸の宮田社長・・・ネットで調べると社歴約50年で4代目、よくある創業者一族が代々引き継ぐパターンと思われた。

しかしそれにしては「社長あいさつ」の中に不思議な一言があった。

「私は、ものごころがついたときからトラックが大好きで、父の背中を見て『トラック運転士』になりたいと日々憧れを思い描いていました。18歳で入社させて頂き、寝る時間を惜しんで懸命に働きました。・・・」

「入社させて頂き・・・」違和感を感じたこの言葉の理由はこうだった。
確かに祖父が創業者で孫には違いないが、現社長のお父さんは八人兄弟の末っ子で二代目社長はお父さんの長兄、間にいる伯父達の多くも会社の役員などをしており、後継ぎとは無縁のはずだった。 ところが世の中の変化とともに社業も順風満帆とはいかなくなり、身内の多くも会社を去ったことや、二代目社長には二人の娘さんしかいなかったことなどの事情が重なり、末弟で運転士としても働いていたお父さんが三代目、そして四十そこそこで四代目をご自分が継ぐことになったそうである。

さて、トラックの外装にドライバーの子供さんが描いた絵をラッピングすることから始まった「こどもミュージアムプロジェクト」、そんな謙虚な青年社長の純真な気持から生まれた美しい物語・・・という単純なお話ではなかった。

2012年、創業45周年を機に就任した若き新任社長は社業の発展に燃え、幹部社員を集めた合宿で「売り上げ・利益・70期には・・・」とビジョンを語り、意気揚々と新しい体制で船出した。 エネルギッシュなリーダーの下、すべては順調に進む、はずだった・・・
が、翌2013年、悪夢のような現実が訪れる。

「8月30日だったんですけども、一本の電話が掛かってきまして、事故があったと。私どものトラックとスクーターバイクが接触したと。それで、バイクの男性が緊急搬送されて、私はすぐ駆けつけたんですけども、案内されたところは霊安室でした。ご遺体を囲んでいる皆さんに、私は恐る恐るですね、声を掛けさせて頂いて、名刺を差し出したときに受け取って頂いたのが一番年長の方だったです。

名刺を受け取って、優しい口調で『たった今、息子が命を落としました。その息子には小学3年の娘が居たっていうことだけは、覚えておいてくれな・・』と。ワッと言われるんじゃなくてですね・・・

ぼくはもう『誠心誠意尽くさせて頂きます』と・・・」

当事者であるドライバーは管理職だった。目標達成のため仕事は何でも引き受けるといった中で、会社のため、仲間のために真面目に組織の中で頑張ってくれていた。その日は人手が足りなくて自分で配達に出た際の事故。

そしてその方も又、二人の幼い娘さんを一人で育てている父親だった・・・
事故当日その娘さんたちのことが心配で訪れると、既にドライバーのお母さんとお姉さんが来ていて、社長を見るなり涙を流しながら謝られた。

「いや、全ては経営者である私の責任です。息子さんが戻ってこられたら、また今まで通り働いてもらいますから、安心してください・・・」

帰り際、見えなくなるまで頭を下げ続けられていた、お母さんの姿が忘れられないという。

「トラックが好きで入った業界で、人のためになりたいと思って一生懸命やってきたのに・・・
世界中のトラックが無くなったほうが、人は幸せになれるんじゃないか・・・」

眠れない日が続き、人知れず苦しんでいた時に触れたのが、多くの人のやさしさや励ましだった。ある人はメールで、ある人は電話を、またある人はわざわざ会社に来てくれて、名刺に書ききれないほどのメッセージを残してくれた。
中でも思いが大きく変化するきっかけとなったのが、知人に掛けられた一言だった。

「お前、トラック好きやろ。そのトラックを無くすより、生かすという方法を考えた方がいいんじゃないか?」

「・・・そうか・・・無くすより、生かすか・・・」

その一言が転機となり、「こどもミュージアムプロジェクト」に結び付いていく。

もしかすると、身の回りに起こる出来事もその人の心の在り様によって変わっていくのかもしれない。

お話を伺っていて、ふとそんなことを思った。

大阪府内のある工場で、様々な安全標語を従業員の子供さんに書いてもらい掲げているという情報を耳にした。

「そうだ!この真似をしよう!」

以前からトラックの運転席に家族の写真や子供さんのメッセージを貼り付けて、モチベーションにしていることは知っていた。それをトラックの外装にラッピングすれば・・・」

その後の予想をはるかに超える反響については前述のとおり。

今では確信となっている。

「・・・理屈じゃなくって、どんな人の心にも届くものなんですよ。純粋な子供の絵とメッセージですから・・・」

「事故ってのは一社だけ良くなっても無くならないです。社会全体がそうならないと・・・ (ラッピングなどに)●●運送や●●工務店(と入れるの)も、もういいじゃないですか。それよりもこんな純粋な子供たちの思いを街じゅうに広げられたら、事故は勿論、争いや事件も少なくなるんじゃないですか。そういうやさしい思いを世界に広げたいというのが『こどもミュージアムプロジェクト』なんです。

大きく言えば、分断された社会を一つに・・・」

宮田社長の夢は尽きない。

 

事実プロジェクトはトラックだけでなく介護施設の送迎車、普通の営業車、工場の壁面、会社の休憩室などにも広がっている。変わったところでは大手飲料メーカーの自動販売機や、実際に宮田社長が運転士さんを毎朝送り出すときに使うタンブラーなど、そしてもちろん冒頭の建設現場にも。

休憩室を子供さんの描いた絵で飾ると、それまであまり集まらなかったり、集まっても不平不満・グチばっかりだったのが、「これいいね」と心が和み会話が弾むようになったそうだ。
また、子供の絵に触れてやさしい心になると、モノも大切にする、人も大切にする、自分の人生も大切にする、といったように働き方も変わるという。

(写真:「こども  ミュージアムプロジェクト運営事務局 2月号」より)

さらに2017年4月に立ち上げたCSV事業部では、主に後藤昌代部長と二人の女性スタッフ(お二人とも中国籍の方)により、プロジェクトに関する情報を国内のみならず世界に向け発信している。

 

【取材後記】
私どもは日々各地で安全衛生に関する講習に携わっている。
一番大切なことは講習で得た知識を現場の行動に活かし、事故や災害の発生を防止して頂くことである。

どうすれば「行動につながる講習」ができるのか・・・

法令やルールに決まっているからとか、テキストに書いてあるからといって常に人がそれを守って行動するわけではない。そこに大きな課題があることを感じているが、今回の取材を通し、こどもの描いた絵の影響力の大きさに驚き共感するとともに、何か大きなヒントを頂いたような気がする。

 

阿部社長、宮田社長ともにさぞかしお忙しい中、見ず知らずの者からの突然の取材申し込みを(メリットなど何もないにもかかわらず!)快諾して頂き、加えて当日は長時間熱のこもったお話をして頂いた。

心より御礼申し上げるとともに、頂戴した情報や「思い」を私どもなりに消化し、具体的な形にしてさらに多くの方々に伝えていくことで、些かでもご恩に報いたいと思う。

 

安全のために様ざまな取り組みを続けていますが、管理体制やIT機器での安全対策で万全を期しても、どうしても限界があります。
運転士の心に「ゆとり」や「優しい気持ち」が無ければ事故は無くならない、そう思い至りました。

(こどもミュージアムプロジェクト パンフレットより抜粋)

写真:「こどもミュージアムプロジェクト」ホームページより

http://www.kodomo-museum.jp/

 

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